w/ 024 DJ
type: object / image
function: exhibition
location: jingumae, tokyo
collaborator:
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_25.9.11
前日、駆け足でブロード美術館とドジャースタジアムでの観戦を楽しむ。ブロードはリヒテンシュタインがとてもよく観える空間。ドジャースタジアムはアメリカの娯楽の極地だと感じる。どちらもスケールがやはりアメリカンだ。
LAXからエル・パソ空港へフライト。エル・パソから車で3時間かけて、マーファへ向かう。時差がさらに1時間ずれることにより、チナティ財団の二人をとても待たせてしまうことになる。午後5時ごろにマーファに到着。
8年ぶりのマーファ。8年越しのカイトリンとティムは歓待してくれた。急ぎ足でチナティ・ファウンデーション。

Artillery ShedsとThe Arena、それからDan FlavinとJohn Chamberlainの恒久展示を観てまわる。Artillery Shedsは雨漏りがするらしく、これから大規模修繕がはじまるらしい。維持することは大変だ。夕方に観るThe Arenaは光が美しい。それから前回はジャッド研究に専念していたこともあったからか、今回はフレイヴィンのパーマネント・インスタレーションがよく観えた。一級品だと思った。展示が変わらずとも、光と鑑賞者の見方は変わり続ける、そんなことを感じたマーファ1日目だった。
ティムと明後日もまた会うことを約束し、足早に今日は解散。明日のフレイヴィン・ジャッド、レイナー・ジャッドとの会合を控え、少し緊張が走るディナータイムを同伴者と過ごした。
ところでティムのガイドツアーも一級品である。詩人である彼は、マーファで本屋と映画館を運営し(経営に疲れたからそんなにオープンしていないよと彼は言っていたが)、ボランティアとしてチナティのツアーを個人的にしているみたいだが、言葉を大切にしている彼のツアーはこのキャプションが一切ないマーファの空間を味わうときのオーディオ・ガイドとして、非常にはまっている。ジャッドの生前から、この空間にはキャプションはなく、スタッフがガイドツアーをしていたのだろうか。その辺りのモットーについては、もう少し聞いてみてもよかったかもしれない。

アリーナの開口部は一部、塞がれている。長手方向の開口部はわずかなニッチを設けながら塞がれているのに対して、短手方向の開口部はニッチを設けず、スムースに塞がれている。これがジャッドのジェントルなリノベーションなのだと、ティムは言う。
カイトリンは、8年前にマーファに来たときはジャッド財団のスタッフで、私の研究のアシスタントを親切にしてくれたのだが、今回はチナティ財団のディレクターになっていた。ジャッド財団にいたときはファンデーション所有のプロパティーの管理・公開に従事していたけれど、チナティに異動してからはアーティスト・イン・レジデンスなど、外部との交流もあり、やりがいがあるよと言っていた。
_25.9.12
朝からジャッド財団。まずはブロック(マンサナ・デ・チナティ)を見学する。
マーファは今年、ながい旱魃の期間のあとの雨季が訪れているようで、緑が多い。ブロック内部の植物も生い茂っていた。
ウェストビルディングのパーマネント・インスタレーションの合理的アシンメトリーについて、再確認する。

ブロック全体を取り囲む外壁は一部、崩落していて、こちらの修繕も今後おこなっていくとのこと。
Art Studioが同伴者には一番響いていた。ジャッドのスタディやサンプルの軌跡。ここの什器などを実測する。普段インストールされていて見えない作品の背面が見える面白さは、ジャッドが壁掛けの作品を意図していながらも、床置きで設置することにした初期の判断にも通じる。
午後、ジャッド財団とフレイヴィンと打合せ。大量のスケッチは見応えがある。ギャラリーワタリとのやりとりの資料も残っており、この辺りの考察もできるといいなと思っている。
25.9.13
朝9時に集合して、Casa Perezへ向かう。車を飛ばして1時間ほど、舗装もなくなり、乾燥した地形の上をただただ移動していく。
既存の家屋に、最小限の介入。附属の小屋を設置に、水回りをまとめる。ベッドなど、いくつかのジャッドデザインの家具。屋外に3つのパーゴラ。ここまでは写真でも確認していたが、奥に小さな庭があるのは行くまで知らなかった。

ベンチから、庭越しに、小屋を眺める。この視点に立ったとき、ジャッドがベンチを置く位置の視点を感じ、土地を破壊することを忌み嫌ったジャッドの気持ちが少しわかった気がした。
ジャッドは主にここには一人で滞在していたようだ。夜はどんな空気なんだろうか。できれば泊まってみたいと思った。
午後は撮影しにジャッド財団とチナティ財団を再度まわる。
25.9.14
着た道を逆走するように、マーファからエル・パソ、そしてLAXへ。LACMAでの展示、fictions of displayを観る。マイケルフリードのtheatricalityというジャッドや同時代の作品を批判した用語を再度引用し、演劇的な映像作品とジャッドの作品を併置させて、そのシアトリカリティを浮かび上がらせようとするコーナーがあった。私はフリードの批判はロバート・モリスなどの作品には当てはまる指摘だなと思いつつ、ジャッドの作品にはモノそのものの現前が現れていると思っているので、その批判はどうなんだろうと思っているので、そもそも懐疑的なのだが、映像とジャッドの立体作品の併置は意欲的な展示方法としてまだいいとして、この間に合板でできたベンチを配置していたのは流石にシニカルすぎるだろうと感じた。ユーモアならまだしも、シニカルになってしまうのは、美術館側にモノそのものを見せる気持ちがあまりにもないように感じ、マーファからの帰りであることも相まって、あまり感心できなかった。一方で、LAの美術館のコレクションの大半はコレクターの寄付から成り立っていて、無料で観れる。からこそそんな断片化した作品群から物語をつくるためのキュレーションなんだなとも、同時に思う。
ところで、MOCAの立ち方は大分医師会館のそれと近しいかも?と思ったり。渋い立ち方だなと思った。
25.9.15
mike kelly foundation, lacma, alan hergott 邸で会食。
michael maltzan さんにsmokeのブックレットをお渡しする。
25.9.16
hammer museum, regen project, hauser & wirth。
ギャラリーが美術館を超えていた。