w/ 020 PS
type: image / object
function: furniture
location: jiyugaoka, tokyo
material: wood
collaborator: en shi, peakhunt(construction)
date: 2026.6
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Furniture design for the common area of an apartment building. Although the space is rich in materials, it was somewhat dim, the layout of the individual flats was difficult to discern and the reception counter was not being used; we therefore sought to address these minor functional shortcomings.
マンションの共用部に設置する家具の設計。素材豊かな空間ではあるが、少し薄暗かったり、受付カウンターが使用されておらず、各居室のレイアウトがわかりづらかったりといった、些細な機能不全を取り除くようなデザインを試みた。

The objects placed in the space can be broadly categorized into box-shaped and board-shaped pieces. The former incorporate built-in lighting to illuminate the space, while the latter serve as bulletin boards and information panels.
配置されたオブジェクトは大きく、ボックス型のものと、ボード型のものに分類される。前者は照明が仕込まれ、空間を照らす。後者は掲示板や案内板として使用される。
The materials used include corkboards—into which thumbtacks can be inserted—and mirrors that reflect the space. In terms of form, function, and materials, we considered the balance between autonomy and interdependence within the space. Rather than making that balance explicit, we sought to arrange the elements in a way that keeps it ambiguous.
素材は画鋲を刺すことができるコルクボードと空間を反射させるミラーを使用した。形においても、機能においても、そして素材においても、空間に対する自律と他律のバランスを考えて、そのバランスを明快にするのではなく、むしろ曖昧にして、配置することを試みた。

理論は拡がり、情報で満たされていく。しかし、問題も解決策も、新しいものなどほとんどないことに気づく。十分に練り上げられた理論だけが、「実在」を生き生きと浮かび上がらせることができる。建築家が現実をどれほど見落としているかは驚くべきことだ。- ヘルマン・チェック、1973年
既に実在している空間が十分に魅力的であれば、建築家が実践すべきは些細な修正である。既に実在している空間に小さな不全があったなら、その時も建築家が実践すべきは些細な修正である。その些細な修正はどのように実践されるべきか。私たちは匿名的でもあり、自律的でもあり、そして環境的でもある、そんな状態を目指している。
匿名 – 署名性を空間にもたらさずに設計すること。あたかもそこにあったかのように、空間を整えること。
自律 – 通り芯やグリッドは構造や機能、それから経済性を担保するルールたりうる。グリッドは既存の周辺環境から導かれることで一定の合理性を持ちうる。
環境 – あたかも、というのは、必ずしも捏造を伴わない。既に存在しているものもまた、かつての誰かの動機で成り立っているのなら、それらの動機に寄り添いながら、新たな一手を加えるのは、環境的でありうる。
今回、マンションの共有部に配置されたオブジェクトたちは、既に存在している魅力的な空間に寄り添いながら、既に存在している不全を解決する機能を有している。そして、その配置や比率、オブジェクトのプロポーションはある一定の秩序に基づいて決定された。だから、どこにも個性はあらわれていないが、標準化もされていない。宙ぶらりんでもありながら、確かに空間は改善され、明快になっている。
興味深いのは、新たに配置されたオブジェクトに、なぜか目が向かないように、レイアウトされているからかもしれない。オブジェクトは鑑賞物でもないし、空間を説明するキャプションでもない。空間に固定化された建築要素でもなければ、すぐに移設が可能な家具のようでもない。つまり、新たなオブジェクトは完全に背景に徹しているのだが、背景を必要とする主役もまた、不在なのである。
古本に挟まれていた、言ってしまえば「とるにたらない」絵画は、エヌ氏の手によって、プライマリー・スケッチ = PSへと変換された。PSはその由来も意図も分からない、いわば宙吊りの状態として、古本に挟まれていた。その静的な質は、絵画というメディアとも相性がいいように思うが、エヌ氏によって執拗に分解され、プロセスとして、動的なものへと捏造(でっちあげ)された。
なぜ捏造するのか?それはPSが「あたかも」そこにあったかのような質があり、それが何なのかを確かめたかったから、であろう。それは個性の不確定性を裏付けするアイロニーと言ってもいいのかもしれない。エヌ氏によって分析された絵画のプロセス自体は、確からしい。そして建築行為を同様に「プロセス」と捉えることも何も問題はない。しかしそれによって「思考」もまたプロセスであるという事実から目を逸らしてはならない。理論の本質とは、「実践する」ことにある。このようにして、プライマリー・スケッチのプロセスは建築行為として変換され、とあるマンションの共用部にて実現された。
(26.8.3)
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one drawing found between the pages of a vintage book by Frank Stella
いまや私は、この絵が固有の「シンメトリー」によって秩序づけられた、図と地の圧縮体として見ている。絵は、異なる何かへ展開される原初的な図案、プライマリー・スケッチ(Primary Sketch、以降PS) かもしれない。そして、PSという可能性を事後的に充填する術は、言うに及ばず、プロセスを分析することにあるはずだ。
ー エヌ氏「PS覚書」より
ここで、古本に挟まれていた、言ってしまえば「とるにたらない」絵画は、エヌ氏の手によって、プライマリー・スケッチ = PSへと変換された。PSはその由来も意図も分からない、いわば宙吊りの状態として、古本に挟まれていた。その静的な質は、絵画というメディアとも相性がいいように思うが、エヌ氏によって執拗に分解され、プロセスとして、動的なものへと捏造(でっちあげ)された。
ここで、動的なものであるからこそ、再度読み替えが許されるなら、エヌ氏から受け取ったこの資料を、私は「プロセス」(エヌ氏による)と、「ストローク」(w//による)という2つの側面として、再読を試みる。プロセス→↗︎↘︎…ストローク、すなわち、《PS》(再び)は、什器の場合、結構術(tectonics)として、あるいは空間の場合、動線(sequences)として、ディテールとなってあらわれる(仮説としての結論)。
(24.11.14)
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October 12, 2024, Saturday, clear sky
2024年10月12日土曜日晴天
My friend is giving a lecture in Kokubunji, so I take the Chuo Line for the first time in a while to the venue in the early afternoon.
友人の寺田慎平が国分寺にてレクチャーを行うとのことで、昼過ぎに久しぶりの中央線に乗って、会場に向かう。
The lecture was commissioned by an architect and photographer, and consisted of a critique/explanation of the renovation of a room in an apartment building designed by the architect, based solely on the blueprints (and some other drawings), completion photographs and the architect’s text (without experiencing the actual building space).
レクチャーは、ある建築家と写真家から依頼されたものであり、その内容は、建築家が設計したマンションの一室の改修に対して、その設計図(およびその他いくつかの図面)と竣工写真、設計者のテキストのみから(実際の建築空間を体験することなく)、批評/説明を行うというものである。

Untitled (The Residence in Jiyugaoka #37), 2023 ©︎ Gottingham
Image courtesy of En Shi and Studio Xxingham
The focus of the talk turns towards ‘completing the medium’, such as drawings and photographs. While three-dimensional space is the most delicious and luxurious, it is hypothesised that ‘completing the medium’ is also architectural. He dreams that non-architects will be able to imagine spaces from those mediums. And that architects should create the mediums that make this possible.
話の焦点は、図面や写真などの「メディウムを完成させること」に向かっていく。三次元の空間がもっともデリシャスでラグジュアリーなものの一方で、「メディウムを完成させること」も建築的であると仮説を立てる。それらのメディウムから空間を想像することを建築家以外の人たちができるようになることを夢想する。そして建築家はそれが可能なメディウムをつくるべきだと言う。
Such thinking seems to parallel that of historians, who try to decipher architectural space, its materiality and sociality from the limited material that remains. When recreating drawings, historians should also aim to complete the medium and try to engage in a dialogue with it.
こうした思考は、残された限りある資料から建築空間とその物質性および社会性を読み解こうとする歴史家の思考と並行しているように思う。歴史家も図面を再描出する際には、メディウムの完成を目指し、それをもって対話の努力をしてみるべきなのだろう。

photographer’s sequence on BIOTIANTAH’s floor plan
Text: h***** k*******
文:小南弘季